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今日はお弁当作りがなかったこともあって、ゆったりとした朝でした。 それを見越して、昨夜はデビスカップの決勝をみていました。
ゆっくりしか走れなかったので、脚の痛みはほとんどありません。 次の日、痛いというくらい頑張らないといけないのでしょうけど。
今日は夕方のお稽古のみ。 そういえば大阪マラソンの翌日もお稽古で、「まったく進歩がない」とこっぴどく注意されました。 今日は、そこまでひどくはありませんが、まぁ、相変わらずという感じですね。
そもそもなぜ「学習」しないといけないのか。 というかそもそも「成長」しないといけないのか。
走る限り、いい走りがしたいと思うのは当たり前のことかもしれません。 いい走りのわかりやすい指標としてはタイムというのがあります。 タイム云々より、わたしのように苦しんで走るのではなく、いかに気持ちよく楽しく走るのかというのがあるかもしれません。 つまり「評価」ということが付き物なのかもしれません。 それは人がする評価であり、自分がする評価であるけれども。
最近、お茶関係で小学生対象の授業のお手伝いをしていますが、そこでは「評価」ということがつねにあって、戸惑います。 生徒さんたちは、「先生」に評価されたいと思って、優良な質問をしたり、あるいはふざけた質問をしたりするのかもしれません。
それと同じことが、わたしがふだんしている活動のなかにもあって、何かの取り組みをして、その感想を出すときに、どういう感想を言うかによって自分が評価されるか、どこかで意識しているということ。 その意識が、プラスにはたらければ、それはそれでいいのですけど。
成長、学習、評価って、なんだかなぁ。 といいつつ、変わりたい、変えたいとどこかで思っているという矛盾とどう付き合えばいいのかと、思います。
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