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阪神大震災と酒蔵:涙酒・笑い酒 日本酒の代名詞として500年 剣菱酒造
毎日新聞 2015年02月14日 大阪夕刊
◇思い出の味、時を止め 剣菱酒造(神戸市東灘区)の「剣菱」は、500年以上前から講談や歌舞伎などを通じ、酒の代名詞として知られてきた。江戸時代末期の風俗を説明した「守貞謾稿(もりさだまんこう)」は、「剣菱」の商標とともに「古今第一トス(昔も今もいちばんの良い酒)」と記した。白樫政孝専務(38)は「かつての造り手とお客さまに守られてきた味を大切にしていきたい」と誠実な表情で語った。味へのこだわりは徹底している。営業や広告はほとんどない。「その分を原材料や酒造りに、惜しみなく割いてきました」
酒造りは、越前の杜氏(とうじ)を主体に丹波、但馬、能登の杜氏が一体となって継がれてきた。晩秋に仕込み始め、春先から秋まで寝かせる。手作業ゆえに多くの蔵人を要す。複数年の酒をブレンド、貯蔵して、味を調える。
白樫さんの曽祖父の故政雄さんの時代。杜氏と二人三脚で追求したのが江戸時代の味だった。太平洋戦争中、物資不足に伴う国の指導で約5年間、他の酒造会社と合併し、甲南酒造の名で酒造りをしたことがあった。だが、「剣菱」の商標は使用しなかった。「剣菱に値せず。戦中とはいえ、味を守ることができないのならば、先人たちに申し訳が立たない」。それが理由だった。
約半世紀後、再び試練に見舞われる。阪神大震災だ。当時、白樫さんは高校生だった。芦屋市内の自宅は被害を免れたが、隣接する祖父政一さん(当時会長、故人)夫妻宅は全壊。以降、白樫さんは脳梗塞(こうそく)を患っていた祖父のケアに徹した。
20年前の1月17日、家を飛び出した父の達也社長(68)が、数時間後にいったん自宅に戻った際、青ざめていたことを記憶している。御影から深江まで八つあった酒蔵のうち、七つが損壊。朝の仕込みの真っただ中だった。約200人の蔵人のうち、170人が倒壊した蔵に埋まった。蔵人同士が助け合ったが4人を失った。「最初に引き出された杜氏は既に息絶えていました。他に2人が亡くなり、もう1人は避難先の大阪で関連死となりました。無念でした」と社長は振り返る。
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