返信



[118] はじめまして。  投稿者:Miso  投稿日:2011年07月08日 06:40:37  No.118001
I P:173.59.242.51
大学院生のキャリアパスで検索していて、このサイトにたどり着きました。
とても有用なサイトだと思います。

私はこれまで10年間ほど米国で研究教育に携わってきましたが、今年日本に帰国し、大学院教育(生命科学)に従事することになりました。
新しくできる独立大学院で、5年間一貫教育をすることになっています。
修士の授与はしません。
ですから、研究者志望の学生を集め、養成していくことが主な目的になります。
もちろん全部の学生がacademiaで定職を得る(あるいは得ようとする)ということはありえないので、様々なキャリアパスを在学中から提案する必要があると考えています。
また関連する分野の企業に、カリキュラムの有用性と、そのカリキュラムで育てられたPhDの魅力を売り込む必要も感じています。

この掲示板には企業の方も書きこんでおられるようなので、今後いろいろとご意見を伺えたらうれしいです。



Re:はじめまして。  投稿者:トリム  投稿日:2011年08月07日 17:03:57  No.118002
I P:220.144.123.103
はじめまして。掲示板への書き込みありがとうございます。

博士が、アカデミアだけにとどまっているのは、もったいないことであると考えております。

ぜひ、ここをご活用いただけたらと思います。

よろしくお願いいたします。




Re:はじめまして。  投稿者:Miso  投稿日:2011年08月07日 22:04:07  No.118003
I P:173.59.242.51
トリムさん

はじめまして。
私は大学院卒業後の人生をほぼずっと国外ですごしてきたので、日本のindustryに詳しくありません。
それで、ちょっと疑問に思っていることがあります。
トリムさんやこの掲示板に書き込んでいる方々にヒントを頂ければ助かります。

さて私はBiomedical分野で研究教育を行っております。
この分野では博士が大手製薬企業やBiotechなどのindustryに進むことはごく一般的です。
それらの企業間で転職をおこなうことも普通に行われています(そうやって会社のランクを上げていく人は多いと思います)。
それは、キャリアが個人の資産・価値であり、転職してもそれは尊重されるからだと思います。
つまり研究職として入社した博士を、営業職として使うということはまずありません。
その時点でその人のキャリアが白紙に戻ってしまうからです。
そのかわり研究者としての需要がなくなれば馘首されます。
しかしその会社での研究キャリアは再就職に役立つわけです。

日本の大手企業ではこの点どのように認識しているのでしょう。
やはり終身雇用の名残で、キャリアとはその会社内限定のものなのでしょうか。
専門家として生きる道が見いだせなくなったときに仕事を選ばないということは当然あると思います。
しかしキャリアが、ある会社限定だとすれば、日本のindustryには最初からその道がないという気がします。
いかがでしょうか。



Re:はじめまして。  投稿者:トリム  投稿日:2011年08月12日 11:16:20  No.118004
I P:220.144.64.226
こんにちは。

>日本の大手企業ではこの点どのように認識しているのでしょう。
>やはり終身雇用の名残で、キャリアとはその会社内限定のものなの>でしょうか。

必ずしも、その会社内限定のものというわけではないと認識しております。会社内で積んだキャリアが社外でも通用しうるかどうかは、結局のところは本人の自らのキャリア構築に対する自覚によるところが大きいのではないかと考えております。

必ずしも日本企業には限らないですが、企業には事務職や研究職などのホワイトカラーに対して他部署への人事異動が行われることがあります。この人事異動には、2種類あるのではないかと考えております。

1.異動する人間への教育を目的とした人事異動

2.それ以外の人事異動

「1」は、よくジョブローテーションと呼ばれているもので、企業内で公のシステムとして、又は暗黙の了解の基にとりいれられているものです。

このような人事異動の場合には、異動する本人のもっている専門性を深める、又は専門性を広げるという意味で行われることが多いように認識しております。

例えば研究職の人間であれば、本人が研究職として所属していた事業に関連する企画部門や営業部門へ異動するということはよくあることだろうと思います。このような異動をすることで、自分の専門分野を自分の会社の事業と絡めてより広く見られるようになったり、客の要望をくみ取れる人間になったりしてくれることが期待されているのだろうと思います。

また、事務系の人間の場合も、例えば、経理をやっている人間は、本社や支店や工場などでそれ関係の仕事を通して、専門を深めたり、会社についての理解を深めていったりするようです。

ただ、このような人事異動がうまくいっているかというと必ずしも全部が全部うまくいっているとは言えないのだろうと考えております。というのは、本人の将来にとってよかれと思ってやったことをなかなか理解してもらえない場合もありますし、研究職時代とは仕事内容が変わるのですが、ではその仕事を遂行する上でどのような視点が必要なのかといったことがわからなくて(どうしたらよいのかその部署の人間が誰も知らない場合ということもあるでしょう)、くさっていくということはあるだろうと思います。

昔、日本ではリストラということが騒がれたことがありましたが、その際に年配の方が再就職先を探すのに、就職斡旋のコンサルタントから、何ができるかと聞かれて「部長ならできる」と言って、そのコンサルタントに失笑されたという笑い話がありました。

これは、別に笑い話でもなんでもなくて、人間の心の襞に関係することだろうと思うのですが、会社の中で何かをやろうとするときに、公式のルートを通せばよいというわけではなくて、誰と誰に事前に話を通しておかなければならないといったことがあります。長年社内にいて、人事異動でいろいろな部署を渡り歩き、社内で知己も増えてくると、そのあたりの勘所が研ぎ澄まされてくることはあるのだろうなとは思います。人事異動の機会をこのような勘所を磨くことのみに費やしてきたという人の場合は、おっしゃるように、そのキャリアは社内限定のものと言えるのかもしれません。




Re:はじめまして。  投稿者:トリム  投稿日:2011年08月12日 11:22:22  No.118005
I P:220.144.64.226
「2」に関しては、一つには自分の所属部署や事業部が業績不振等でなくなるから異動せざるをえないという場合があります。二つ目としては、所属部署で「使えない」又は「使いづらい」から異動させるという場合もあります。二つ目の場合は、必ずしも本人のせいばかりでない場合は多いと思うのですが、人間関係の難しさを表すひとつなのではないだろうかと思います。

教育目的の人事異動を行う会社の場合、社員のキャリア形成に対して会社も責任を分担することになってしまうため、それが吉と出て、本人の視野を広げてより大きな仕事ができようにすることがある場合もありますが、逆に自分自身のキャリアに対する意識を甘いものにしてしまう可能性もあるのではないだろうかと思います。

研究職として必要がなくなれば首になるという場合では、自分自身の生きていく武器として自分のこれまでのキャリアやこれからのキャリアについて失敗しないようにどうするべきかということは真剣に考えるだろうと思いますが、失敗はできないため、安全方向に考えがちになってしまうかもしれません。

いずれも、一長一短があるのではないだろうかと思います。



Re:はじめまして。  投稿者:博士は職業じゃないんだ!  投稿日:2011年08月13日 02:38:48  No.118006
I P:110.3.28.160
Misoさん初めまして。
「博士は職業じゃないんだ!」と申します。

私は博士号を持っていますが大手企業に勤めているわけでもなく行政の技術者です。
後述のトリムさんの「2」の状態を体験しました。
人事面で揉め、そこに全く関係のない自分を配属させたということでした。
配属されたところは大学での専門性も関係なく、博士が白紙になった状態です。
なのでMisoさんの「キャリアが個人の資産・価値」は自分のモヤモヤを形にした目から鱗です。
大手企業に「技術職」で就職した友人(修士卒)は確かに大学での専門性を生かして配属されたのですが、本人の「商品開発に関わりたい」という思いは通らず、何年も与えられた業務を行う形です。
ほかの友人の話を聞いても大なり小なり似たようなもので、「キャリアが個人の資産・価値」というのはあるのかもしれませんが、大部分は組織の考えで決まると感じています(あとは本人を大切な人材と考える上司に出会えるかどうか)。この状態は公金を投入して博士を育成するので社会の大きな損失だと思いますが・・・。
これは自分を含め博士の社会進出、還元を行い、博士が社会で活躍する具体例を示さなかったアカデミアに原因があると思います。
研究者(専門家)という職業はアカデミア以外になく技術者という職業があるのだと思います。
海外は知りませんが学会で名の通った方ならいざしらず、「専門家」という文化が希薄な気がします。
「専門」っていったいなんだったんだろう?と思うこともあります。

そこで教育を行うMisoさんに期待することは博士に社会を体験させる機会を作って欲しいです。
現在も通常業務(講演会を含む)の中で、なにが正しいのかわからないので教えて欲しいというような要望は多く、潜在的な需要は非常に大きいと感じます。
サイエンスカフェ、市民講座でも良いのですがそのような場では何か問題、具体的な要望、不安を抱えている方が、はたまた科学に興味を持った方が大部分を占めると思いますので、関心を持った方の「生」の声に触れる機会があればと思います。その中で雇用に繋がる出会いが生まれることも多々あるのでは?と思います(同時に実社会では費用対効果という面で博士の価値を見出す方は圧倒的な少数なので厳しいのも確かですが)。

「生」の声に触れた上で進路を考えられたら今後は大きく変わるのではないかと思います。




Re:はじめまして。  投稿者:博士は職業じゃないんだ!  投稿日:2011年08月13日 02:47:40  No.118007
I P:110.3.28.160
私は多いときは年に200人前後の一般市民に触れる機会があったのですが「修士、博士」は学部よりも勉強期間が長いという理解で「学部、修士、博士」は社会に入るまでの通過期間という認識だと思います。

これは修士、博士(特に博士)が社会に進出して身近で活躍した実例が少ないためで、今後の活躍次第で改善されていくのでは?と思います。



Re:はじめまして。  投稿者:博士は職業じゃないんだ!  投稿日:2011年08月13日 03:11:13  No.118008
I P:110.3.28.160
トリムさん、私はトリムさんの指摘する内容が自分に当てはあり、納得して考えさせられました。

私は幸い上司に恵まれ1の人事異動を体験し、よし技術を生かしてこいって送り出されたのですが、行き先で2(ただし自分は関係なく組織内部の理由)でした。
民間に行った友人も同様な経験がありました。

アカデミアという世界は自分の進路は良い意味で自己責任という世界なので、自分の武器、これまでのキャリア、これからのキャリアについて失敗しないようにするためにどうするべきかということを当面現実的な面から本当に真剣に考えて欲しいと思います。
ただ一つ視点を変えれば博士の需要は潜在的に非常に大きく、これに気付いて道を見つけ、アカデミアに進むなり、社会に進出するなりできればと願います。
個人的には社会に進んで欲しいなと思います(貢献度は非常に大きい)。
人生観を大きく変えるような展開が多く眠っていると思います。
「アカデミア」→「社会」→「アカデミア」へ進む道が現実的な選択肢として存在するような社会になれば大きな発展が生まれるのではないかと考えています。



Re:はじめまして。  投稿者:Miso  投稿日:2011年08月15日 23:55:46  No.118009
I P:134.192.85.183
トリムさん

お考えを書いていただき、ありがとうございました。
とても参考になります。

私がトリムさんの書き込みを見て感じたことが3つあります。
一つは、トリムさんから見た企業でのキャリア育成が、お役所内でのものに似ているということです。
組織が大きくなると官僚組織に似てくるということはあるかと思いますが、やはり、組織がなくならない、終身雇用が保証されている、という前提でのキャリアパスのように感じます。
2つ目は、「博士」を持っているかどうかは関係ないように読める、ということです。
おそらくトリムさんの発言は現実を見据えた上でのものと思いますが、「博士」特有のキャリア育成があっていいのではないかと思っています。
最後に社内限定のキャリアかどうかという点に関してですが、トリムさんの書き込みからはそういう印象を強く受けました。
組織内にいる間は、その意向に逆らうことは難しいでしょうから、専門としてのキャリアを損ねる(ように思える)選択肢しか与えられなかったら、どうしようもないのではないでしょうか。
そういう意味でも、博士に特有なキャリア育成を尊重する文化があれば良いのですが、博士が企業のトップに立つようにならないと難しいでしょうね。
それでは卵が先かという問題になってしまうわけですが......

ちなみに米国では、自分のキャリアを売り込む能力というのも必須のものです。
謙遜を重んじる日本では違う方法論が必要になるのか、それともそういった能力を尊重するように変わっていくのか。



Re:はじめまして。  投稿者:Miso  投稿日:2011年08月16日 01:30:54  No.118010
I P:134.192.85.183
博士は職業じゃないんだ!さん

はじめまして。
書き込みをありがとうございました。

トリムさんへの返信でも書きましたが、博士特有の、あるいは専門性を活かすようなキャリア育成がないというのは、もったい無いことだと思っています。
さてその原因ですが、アカデミアにあることは間違いないと思います。
大きな原因としては、
1.博士の質保証がない。
2.実質的なカリキュラムが存在しない。
3.いまだに研究室単位での徒弟制度である。
があるのではないかと考えています。

大学院入学が非常にたやすいことはよく知られていますし、修了者が何をどの程度学んだのか、外からはよく分かりません。
それと比べると、大学の卒業者は入試での選別を通ってきたわけですし、どのような授業でどんな成績をとったかは調べることが可能です。
そういう意味で、現在の体制から生み出される博士は、社会から見ればなんだかよくわからない存在なのでしょう。

2の点も、これに関連しています。
大学院設置届出に関わった関係で、いくつかの関連分野の大学院カリキュラムを調べましたが、特殊なんとか特論のようなわけの分からない講義ばかりの所が多い印象でした。
おそらく、各教授が自分の専門分野についての話をするような講義なのでしょう。
しかしこれでは博士課程の学生が何を学んでいるのか、外からは全く分かりません。
結局大学院生の「教育」が研究室単位で行われている実情を表しているのだと思います。

こういったことを踏まえて、私の参加する大学院では、指導教官の参加しないqualifying examination(退学勧告あり)を行なうなどして質を保証し、専門教育に加えてコミュニケーションや問題提起の仕方なども含めた、実質的なカリキュラムを設定して教育を行っていく予定です。
博士は職業じゃないんだ!さんが提案されたように、企業インターンシップや、大学以外の研究者を招いた講義なども行い、社会との接点を増やしていくことも計画しています。

私個人としては、専門の研究分野においてはもちろんのこと、いかなる分野にも通用しうる「問題提起・解決のプロ」としての博士を育てたいと考えています。
その上で、社会の側に対しても、博士への評価が上がるよう促していければと思います。



Re:はじめまして。  投稿者:博士は職業じゃないんだ!  投稿日:2011年08月19日 22:26:24  No.118011
I P:110.3.28.160
Misoさん
ありがとうございました。

Misoさんの書き込みを読むと日本のアカデミアは思いつきを積み重ねて、アメリカはシンプルにかつ実践的に進んできたという印象を持ちました。
Misoさんは具体的には書き込んでいませんがケースに応じた具体策があるのだなと思いました(それを聞いてやっぱりアメリカで一度研究してみたかったです。)。

ぜひとも社会との接点を増やすことを行って欲しいです。
今現在アカデミアは博士をもっている人が科学について論じ合っているだけで、重大な意味を持つと考えていると思いますが、アカデミアは社会の中の小さな一部分にすぎないことに気付いていない気がします。
社会との接点を持つことでそれに気付いて欲しいことと、逆を言えば社会に飛び出した博士がまだまだ少ないので活躍する場所が広大にあり、「問題提起・解決のプロ」としての潜在的な需要が非常に大きいということを知って欲しいです。
社会との接点をもつことにも関わりますが自分と他人を介在するのは「お金」であること、また大学院設置に関わったとのことなので「独立行政法人の法的な位置づけ」をご存じだと思いますので経済に強い博士を育てて欲しいです。

すごく期待しています。



Re:はじめまして。  投稿者:Miso  投稿日:2011年08月20日 11:19:36  No.118012
I P:173.59.242.51
博士は職業じゃないんだ!さん

返答をありがとうございました。
いくつか感じたことがあるので書かせていただきます。

私自身の考えでは、基礎研究の発展は経済活動からなるべく自由であるべき、としています。
例えば、先進国でマラリアの研究をしている人はほとんどいませんが、それは患者のほぼすべてが後進国にあり、製薬会社などに利益を及ぼす可能性がないからです。
他にもいろいろと理由はありますが、科学(=知識の蓄積)が利益の追求に縛られてしまうと、後々いろいろな弊害があると思っています。

それはそれとして、博士の能力が社会でもっと使われてもいい、というのはそのとおりだと思います。
私が今不安なのは、もし社会に博士を尊重する文化がないと、わざわざ博士まで行く人がいなくなるのではないか、ということです。
就職率が修士よりも低く、給料は多少多い程度、かつ会社の都合で専門から外されてしまうとなると、博士をとって就職するincentiveがまったく見いだせないように思われます。

社会との接点に関してですが、米国に来てわかったことは、日本の年功序列制度はやはり、象牙の塔を作ってしまっているということです。
こちらでは大学院生から同じ研究室で助教になって、などということはほぼないですから、少なくとも皆、出身大学以外の環境を体験します。
大学院に入る前に、1,2年(社会人として)働くことは普通ですから、そういう意味では皆大人です(経済的に自立している)。
また教会を起点においたコミュニティということもあるかも知れませんが、自分の活動をいかに社会に還元するかという意識も高いです。
教授間でも、"we do our research with tax payers' money"というような表現はよく出てきます。
もちろん社会(経済)に直結する研究をしろというわけではなく、例えば高校生を招いて研究体験をさせるとか、そういった啓蒙活動も「社会への還元」として奨励されています。
私も科学は高尚なものであるとは思いますが、その言葉を吐く日本の多くのアカデミアの研究者は、なにか勘違いしているとは思っています。
かつて研究は奴隷を抱えた貴族や余暇のある上流階級のものでしたが、現在ではそうではありません。

まあ、私の能力は非常に限られていますが、期待に応えて、状況を少しづつ変えていくよう努力いたします



Re:はじめまして。  投稿者:博士は職業じゃないんだ!  投稿日:2011年08月26日 23:45:58  No.118013
I P:110.3.28.160
Misoさん返信が遅れてすみません。

私の伝えたいことは書いたので最後と思っていたのですが、Misoさんの書き込みに応えたいと思い書きます。

>私自身の考えでは、基礎研究の発展は経済活動からなるべく自由であるべき、としています。
Misoさんの考えに僕は全面的に賛成です。
日本では数年前に「博士が100人いる村」という話がネット上に出て、「アカデミアは社会の役に立っていないし、利益を前提とした会社に適応できないからだめだ」というような話が流行りました。
僕はそのころ博士課程で、その話に全く賛同できなかったし、今もその考えは変わりません。
陳腐な表現ですが今でも僕はアカデミアは生命現象に心をときめかせ、真理を追究して欲しいと願っています。

ただ現実的な話として
@国の財政が本格的にまずそうだということ(新聞に出ていたのですがGDPに占める国債の割合についてドイツは80%、アメリカは90%、ギリシャが140%に対して日本は220%。各国事情は様々だと思いますが、「数字」という話だけで捉えるとならどう考えても異常だと思います。)
A来年度以降被災地へ第一優先して重点的に予算を投入しなければならない。
B首都機能の移転(Bに関しては単純な予想の話ですが、各省庁、国会が首都にある以上現実的に議論はされるんじゃないかな?と思います。)

というような状況を考えると独立行政法人に関して法で「国が自ら主体となって直接に実施する必要のないもの」と明文化している以上アカデミアはある程度の期間どうなるんだろう?という思いがあります。

僕としては社会に出たいという博士なら、感覚的なものとして(研究に携わったものとしてふさわしくない表現ですが)
@博士が生きる道は広大にあり、なおかつ潜在的に(進出した数が少なすぎて社会自身がまだ気付いていないと思います)求められているということ(進出した数が少ないので課題は多々あり、今度は本当に独力で切り開かなければなりませんが)
Aアカデミアに生きるなら論文ではなく(ネイチャー、セル、サイエンスは別として)一般市民が実感できるお金(経済尺度)という形で提示できなければならないのでは?と思います(あくまで当面の現実な課題としてです)。



続きです。2  投稿者:博士は職業じゃないんだ!  投稿日:2011年08月27日 00:16:03  No.118014
I P:110.3.28.160
>就職率が修士よりも低く、給料は多少多い程度、かつ会社の都合で専門から外されてしまうとなると、博士をとって就職するincentiveがまったく見いだせないように思われます。
博士の就職率に関してはトリムさんがデータで示しているように、そうとも限らず、なおかつ視点を広げれば人それぞれだと思います。
給料に関しては電力問題で民間、行政四苦八苦している状況だと思いますのである程度考えなければならないかもしれません。
博士を取って就職するinsentiveに関しては本当の実力を身につけていれば年齢、経歴関係ないと思います(アメリカではそうではないかと思います)。僕は初め困難な状況でしたが周囲との信頼関係、市民に対して誠実に働くを最重点として業務を行った結果周囲の評価が得られ(自分で言うのは嫌ですが)打開しつつあります。博士に行く方の能力が低いとは感じません(社会モラルが欠けている人の数は一般社会と比べれば多いと思いますが。)

Misoさんの書き込みを見るとうれしくなります。
僕の実体験ですが、僕は家の事情で道を変えましたがそれ以上の決定打がありました。
研究について教授と議論をしていて僕は真理の追究はもちろんのことMisoさんの「マラリアの話」と同じような話と「自分の活動をいかに社会に還元するか」という面から研究を進めたいと話しました。それに対して「確かに目の前の2,30人は救えるかもしれない。だけどそれになんの意味がある?それよりも真理を明らかにしたらそれ以上の人を救えるだろう?」と言われました。
僕はその時アメリカに行く話があったのですが、進む道が違うと思い決断しました(Misoさんの話を聞くとアメリカ行けばよかったかも(苦笑))



続きです。3  投稿者:博士は職業じゃないんだ!  投稿日:2011年08月27日 00:51:47  No.118015
I P:110.3.28.160
>私が今不安なのは
とありますが安心、不安は科学的なデータではなく心情なので明確な解決策というのは難しいと思いますが、実情はわかりませんが山中先生が「患者のため」と話すのと同じように僕はMisoさんの考えることに対して希望を持ちます。
そういう方がいるのならば明るいと思います。

>大学院に入る前に、1,2年(社会人として)働くことは普通です。
そこがアメリカの強みだと思います。
極端に言えば科学技術に関する博士、修士をもつ弁護士がいて科学を論じることのできる弁護士がいるようなところがアメリカの強いところで、今現在は異分野を兼ね備え持った組み合わせこそが「本当の意味での専門」で今日本社会に求められている人材なのかなと思います。
僕は現在業務の傍ら科学を社会に繋げるためのもう一つの領域(とりあえず今は経済)を修めようと試行錯誤しています。
Misoさんがアメリカで培ったキャリアをそのまま生かいて欲しいと思います(日本のアカデミアの新たな形です。)。
「社会への還元」というと大きな話になってしまいますが「DNAってなに?」ということを答えることぐらいからだと思います(それすら今のアカデミアは出来ていないのではないか?思います。というか自分は同僚に対してそこから始めている状態です。)。

>私も科学は高尚なものであるとは思いますが、その言葉を吐く日本の多くのアカデミアの研究者は、なにか勘違いしているとは思っています。
そうだと同感します。

Misoさんが働くところはどこかわかりませんが、Misoさんのキャリアを生かせば自然とあそこだな〜ってわかるようなときが来ると思いますし、期待しています。
自分も博士を持った身としてできることを一つ一つやっていこうと思いますのでMisoさんも一つ一つ積み重ねて下さい。
お互いやれることを一つ一つやっていきましょう!



Re:はじめまして。  投稿者:トリム  投稿日:2011年08月27日 13:02:14  No.118016
I P:119.241.49.117
Misoさん、博士は職業じゃないんだ!さん、書き込みありがとうございます。

Misoさんが、おっしゃるように、確かに、日本の終身雇用に近い雇用を実現している会社で働いている人は、Misoさんがアメリカで見てこられた会社に勤める方々とは、全般的に社会の捉え方や、自分のキャリアに対する認識が異なるのかもしれません。

例えば、社会の捉え方については、学校時代の友人を除いたら、基本的に会社での付き合いしかないのが普通だと思うので、外の世界のことは本やちょっとした話で情報を得ることはできるかもしれませんが、自分が会社を出るといった決断をするうえで、自分の会社以外の場所に親しみを持つことはなかなか難しいかなと思ったりします(先方の方々も自分のことを知っていてくれるとより安心感が増すかもしれませんが)。

また、キャリアに対する認識も、あまり認識しないか、かなり狭いキャリアに閉じこもろうとする人はもしかしたら多いかもしれません。人事異動にすんなりと従うのは、上記のこともありますが、同時に、自分のもっているものに対する自信のなさがある場合もあるのではないかと思います。なので、とりあえず食べるためには、従わないといけないということになるだろうと思います。

最近では、賢明な会社であれば、社員の自主的なキャリア形成を行う機会を提供するようにはなってきているのではないだろうかと考えております。というのは、昔であれば多少外国に明るくて小利口であれば、日本の将来をある程度予測して、会社を間違わない方向に導いていくことができたのでしょうけれど、このごろは、外国を参考にするわけにもいかなくなったので、会社は組織としての大雑把な方向性は示せるのかもしれませんが(その方向性が必ずしも適切とは限らない場合も多いでしょうけれど)、こまごましたことまでは会社のトップは決められなくなってきております。

そうなると、細かいことは構成員の個々人が自主的に判断してやってくれということになってまいります。そして、自主的に動いてもらうためには、個々人が自分の成長にとって望ましいと思える方向にいけるように支援をしたり、そこまではいかなくても少なくとも納得して仕事をしてもらえるように支援をしていく必要性が高まっていると考えられております。




Re:はじめまして。  投稿者:トリム  投稿日:2011年08月27日 13:07:45  No.118017
I P:119.241.49.117
博士であるということは、そういった中で、個人の属性の一つとして尊重されていくのではないだろうかと思います。

ただ、博士が社会から、ありがたがられるかどうかについては、個人の属性として尊重されるかどうかとは別の問題であるだろうと思います。

博士は、一般的には、自ら課題をもって、それの解決に取り組んでいる人ということになっておりますので、そもそも、課題がわからなくて(課題がなくて)右往左往している人や組織の多い現代社会においては、とても重宝されるはずの存在だと思うのですが、局所的にはこのようになっているとしても、全般的にそのような傾向がないというのは、博士の属性に問題があるのか、受け入れる社会の側の自分たちにたいする問題意識が低いのか、いくつか要因があるのだろうと思います。

博士の側の問題としては、きっといろいろとあるのでしょうけれど、例えば、そもそも課題をもっていないのか、課題をもってはいても持っている課題がつまらない(誰にとってつまらないかということについては多面的な見方があると思いますけれど)人が多いのかといった問題があるのかもしれません。そういう意味で、博士は職業じゃないんだ!さんのご意見はとても示唆に富んでいるなと考えております。

本で読んだのか、話で聞いたのか忘れたのですが、そもそも、導入教育として「博士とは?(もしくは「研究者とは?」)」といった講義がないことは問題ではないかということを聞いたことがあります。実質的なカリキュラムとして、研究室での研究活動に加えてさまざまな活動を実施させていく上で、それらの活動をどのような方向に学生が結び付けていくことを期待しているのかを示すうえで(期待に添うのも期待に逆らうのも学生次第でしょうけれど、学生にとっては考える上でのベースにはなるでしょう)、上記のような講義はあった方がいいのかもしれないと思ったりもしました。



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