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[117] 社会に出て今思うこと  投稿者:博士は職業じゃないんだ!  投稿日:2011年04月17日 00:37:21  No.117001
I P:113.213.244.208
続きです。

これは働かないとわからないことだと思いました。
後輩に進路を聞くと「論文を何本書きました」と言われるのですが、それはアカデミックのモノサシであって社会では違うんだ!と思います。
だから就職でも民間とのミスマッチが起こるのだと思います。
どの世界でもお金を出してくれる人のために働きます。
みんなが働いてお金を出した土台の上で研究をしているのに還元することを考えないとなうとミスマッチが起こるのは当たり前だと思います。
だから働くということに対して(研究に関しても)もう少し意識を変えて欲しいと思います。
けして独力で切り開いてきたわけではありません。
少し視点を変えて取り組まないとどうしようもなくなると思います。
研究「補助」の話に誰でも知っている一流の研究所で学位を取ったかたが来て盛んに論文の話をして断られるということもあるかもしれません。

私は今研究所で研究員として働いています。
学生のころは研究職は研究をしてお金をもらう職だと思っていたのですが今はそうではないと思っています。
研究から離れたこの数年間の経験は非常に大切なもので、この数年間の経験が後々生きてくると思うし、「この数年間があったからこそ」と10年後20年後に思うと思います。

研究をしてお金をもらう職業というのはないと思います。
世の中は自分だけで成り立っているのではない。
博士、ポスドクは弱者でも何でもなくてむしろ・・・。

「社会とは何か?」を常々考えていれば博士だろうがポスドクだろうが関係なく就職できると思います。

極端なことを書いていますが私の経験が同じ世界で生きた同志の一助になればと思います。



Re:社会に出て今思うこと  投稿者:トリム  投稿日:2011年04月29日 13:00:20  No.117002
I P:110.233.151.194
はじめまして。

数年働かれてのご感想を掲示していただきありがとうございます。確かに実際に今までと違う仕事をしてみるというのは、物事をとらえる視野を広げる意味でとても重要だと思います。

きっと、初めての仕事では葛藤も多かったり、実務をこなしていく上での苦労も多かったのではないだろうかと思います。嫌な仕事は、2、3年なんとかこなせば次の職場に移れるさと思う人も多いと思うのですが、そうなさらずに、正面からその窓口業務に向き合われたのだろうと伝わってまいります。

私の場合も、現在は研究は行っていないのですが、生産に直接かかわっていないという点では、研究者と同じかもしれません。

ご指摘されている、

>普通の人たちの生活の中には真理の追求は直結していないし、ただ泣いたり、笑ったりという毎日があり(ネガティブな意味ではないです)、アカデミ>ックの世界は一般社会のなんの役に立っているのだろう?と思います。
>もちろん役に立っていると思うのですが、それが非常にわかりにくい。というかほとんど全く見えません。

上記のようなことを我々は見ようと努める必要はあるのだろうと思います。つまり、我々がよりよく生きるとともに、おっしゃっておられる普通の人たちが、ただ泣いたり、笑ったり普通に生活し続けられるように、せめて自分の関係する範囲(所属している会社とか、住んでいる町内とか、大学のある市町村とか)くらいは意識することが大切なのではないかと思います。

そういう意味では、博士課程での人材育成に公費を入れることには意味があると私は考えております。

これまで、博士卒の社会進出がうまくいかなかったのは、教育システム上の問題と受け入れる社会の側の問題があっただけで、それは近年解消される方向に向かっていると知人の話や実感、データなどで感じております。例えば、近年、日系企業において、化学系メーカーを中心に大手企業で、新入社員に占める博士卒比率が上昇しております。

また、データとしてまとまったものを見てはいないのですが、友人の話によると、ポスドク一万人計画のおかげ(もちろんそれだけではないのでしょうけれど)で、各大学は良質な教員をそろえられるようになり、昔いたような研究も教育もできない不良教員は駆逐される傾向にあるとのことです。



Re:社会に出て今思うこと  投稿者:トリム  投稿日:2011年04月29日 13:05:35  No.117003
I P:110.233.151.194
私が勝手に思っているのですが、研究の進め方とか仕事の進め方とか、どんどんと変わってきているとは思うのですが、人間の職業人生の長さからするとその変化は割と緩慢なものであり、案外、前例踏襲的なやり方でもうまくいっていた(実際はうまくいっていなかったのかもしれませんけど、少なくても致命的にはならなかった)面があったのかもと推測しております。

ただ、最近は、それではうまくいかなくなりつつあり、前例はないことだけれど、確信をもって何かを進められる人に期待したいところがあるのかもしれません。そのため、博士卒に頼りたいということがあるのではないかと感じております。

博士課程に進学し、世界を意識して成果を上げている優れた教員に師事することは学生の人生にとってとても意義のあることではないかと考えております。もちろん教育を受ける学生側の意識も師事したことが意味のあったことになるかどうかに大きく影響すると思いますが、一つにはその教員の視点や視野を手に入れ、さらにその教員なりの視点や視野をどのように発展させていくのかの考え方と行動様式を身につけることができるということがあります。こういった人たちは、そういった視点や視野が、授業の組み立ての中に表れていたり、研究室運営の節々に現れたりしていると思うのですが、思考や行動にまで結び付けるには、ある程度の長期間一緒に過ごすのが重要だろうと思います。もう一つには同じようにふるまえるようになる(例えば、一流ジャーナルと呼ばれているものに投稿することが当たり前だと思っている集団の中に放り込まれたら、そのようにふるまうようになるのは当たり前でしょう)ということがあります。そして、学生として首尾よく成果を上げることができたら、自分の知識やスキル、物事の組み立て方に自信がつきますから、指導教員から手に入れた視点や視野を自分なりのやり方でさらに発展させていこうと考えるだろうと思います。こういったことを博士課程という統御された環境の中で短期間にできるのではないかと思います。

大学や修士課程においても、もちろんかけた時間の長さや教育の質に応じて高度な知識やスキルが身につくとは思うのですが、確信をもって何かを進めるというところまでやれるようにするのはなかなか時間が足りなかったり、学生側にそうなるように動機をもたせることが難しいかもしれません(もちろん個々人の資質には相違があるので、出来る人は出来るのでしょうけれど。もっともそれは教育の成果とはいえないでしょう)。

今、博士卒の意識に問題があるとすれば、それは教える側の問題と教わる側の問題の両方があるのだろうと思います。社会とどうかかわるかという点が欠けている点は、私も学生時分あったように思います。

また、前向きなご提言くださることをお待ちしております。ありがとうございます。



Re:社会に出て今思うこと  投稿者:8階  投稿日:2011年05月05日 03:44:17  No.117004
I P:223.219.9.158
投稿者の方もトリムさんも建設的なご意見ありがとうございました。

ここに書くほどのことではないかもしれませんが、少し私も書いてみることにします。
私も農学博士を取得しましたが、行き場はなく地元の会社に就職しました。そしてもう2年がたちました。仕事は研究とはまったく関係ありません。強いていえばアンケートなどの調査がある程度です。それほど大きな企業でもないため、日々売上げをにらみつつ仕事をこなしています。現在になってようやく、自分が会社にいても問題ない程度には稼げていると思います。それではやりがいのある仕事かといわれると、正直なところ研究の方がやりがいがあると思います。いまの仕事をしている自分が偉いとも思いませんし、ここの掲示板をみている方々に偉そうな説教を垂れようとも思いません。ここの掲示板をみている方なら就職しても立派に仕事していけるのだろうと思います。もちろん会社での仕事は研究とちがって大変なことも多いですしそれなりにこなしている自負はあります。とはいえ組織としての機能はあるので精神的な負担は少ないですし、わりと自由裁量な部分もあります。この辺は会社や業種によるのでしょうが。

とりとめのない話を連ねて申し訳ないです。なにがいいたいかというと、私自身役に立たない研究をしていたので、役に立たない研究ができる場所はせめて大学くらいには残してほしいなぁと思っています。最近のはやぶさやイカロスのニュースや報道をみていると、単純におもしろいですし、わくわくします。これらの研究は役に立たないけれど日本の文化レベルを上げてくれていると考えています。そのためなら、私は税金を払うのは納得できます。

この掲示板をみながら、博士を取った後のことで不安を感じている方がいらっしゃるとして、その方々に伝えられることがあるとすれば。
自分を成長させるのは自分なので、自分でなんとかしようと思う姿勢があればなんとかなる、ってことくらいでしょうか。
私はもともと研究を続けようと思って就職してないので、そういう点でのミスマッチはなかったです。こういう人もいるんだなくらいでみてもらえればと思います。
駄文ごめんなさい。不要なら削除してください>>トリム様



Re:社会に出て今思うこと  投稿者:トリム  投稿日:2011年05月23日 01:53:58  No.117005
I P:220.144.88.208
8階さん、ご意見ありがとうございます。

現在の仕事に自信をもって取り組まれている姿勢が伝わってまいります。

なにより、

>自分を成長させるのは自分なので、自分でなんとかしようと思う姿>勢があればなんとかなる、ってことくらいでしょうか。

と言えるのは、今の仕事がうまくまわっている証拠ですよね。

8階さんのように言えるとよいのですが、私自身は、なかなかそこまで言えないところもあります。

私自身、一度、つぶれたことがありますし、入社や異動に伴って新しい職場で専門性や業務内容、人間関係のミスマッチなどでつぶれていった人というのも見たり聞いたりしたこともあります。

やはりそれぞれの仕事にはそれぞれそれなりに専門性が求められる上に、よい言い方をすればそれぞれの職場で技能が構成員の中で「暗黙知」として保有されているため(悪い言い方をすれば知識やスキルが継承できる形で整理できていないので)、そういった職場に本当に何も専門的なバックグラウンドがない状態で入ると、本当にただの作業員になってしまいます。

勉強は、常に必要だと感じておりますが、仕事選びは多少なりとも、自分が自信をもてることが活かせるような要素(必ずしも専門分野を活かすということではなく、分析が得意だとか、統率力があるといったことかもしれませんが)がある仕事を選ぶようにした方が仕事で失敗するリスクは減らせるのではないだろうかと思います。自分が自信をもてることということは、おそらくは好きなことでもあるとは思いますし。

「やりがい」に関しては、自分自身の内面の問題もありますが、所属組織の業務内容や目標、組織のあり方の問題も大きいと思いますので、なかなか自分だけでどうにかできるという類のものではないかもしれません。

私自身は、今はそれなりにやりがいをもって仕事をしておりますし、少なくとも仕事の関係で私と接する人たちには、私と接する範囲内では、能力が高まったと思ってもらったり、それによってより合理的に判断ができるようになったりといったことで、やりがいをもってもらえるようになってもらえたらと日々活動しております。

お互いに、やりがいを高められるようにしていけたらいいですね。がんばりましょう。




Re:社会に出て今思うこと  投稿者:博士は職業じゃないんだ!  投稿日:2011年08月04日 00:40:26  No.117006
I P:110.3.28.160
だいぶ時間が経ちました。
返信したいと思いつつ、自分の中でタイミングは今じゃないと思い時間が経ちました。
すみません。

トリムさん、8階さんありがとうございました。
私も同じ思いにあります。
ただ敢えて極論を書きました。
極論を書いた上でトリムさん、8階さんのような意見を求めてました。
自分としては博士課程がなければ今の自分は形成できなかったと思います。
自分のなかで博士課程での経験が土台になっています。
社会の中では自分で条件を設定できるわけじゃないし、「周囲との関わりの中で」なのでイロイロ難しいのですが、私は研究を通してコントロールをたてられることを習得できたことが「直接的に」大きいです。
実際に行うことはできないのですが業務の中で対人スキル等に関してもポジコン,ネガコンを設定して取り組んでいました。
コントロールをたてられることは自分の勉強、成長面で「1」の経験が×何倍にもなる大きな推進力になっています。
私の中で博士課程は代えのきかないものです。

ただし、返信をここまで引っ張ったのは理由がありました。
東日本大震災です。
人類史上最大の自然災害ではないかと思います。
この災害に対してアカデミアがどう反応するかを待ってました。
いろいろ対応していると思いますが、正直パッと思い浮かぶものはありません。
ホームページの一文で終わらせることではないと思います。

事業仕分けのときはあれだけ即時対応、歴史に残る意思表示だと思いました(当時就職していましたが、周りは興味すら持たない状況でしたが僕は心躍って唸ってしまいました)。

予算が削られそうなら即時対応では話にならないのではないでしょうか?
話がそれていますが大事なことは何か?
教える側、教わる側ピンぼけして欲しくないです。
「歴史という名の法廷」にアカデミア自身が立たされているのでは?と思います。

研究をしてお金をもらう職業というのはないと思います。
世の中は自分だけで成り立っているわけでも道を切り開いてきたわけでもない。

また極論の中の極論を書いていますが、それを打ち崩す意見を期待しています。



Re:社会に出て今思うこと  投稿者:トリム  投稿日:2011年08月07日 16:52:48  No.117007
I P:220.144.123.103
その後、どうされたのだろうかと思っておりましたが、ご意見ありがとうございました。

東日本大震災に関しては、これに歴史的な意味があるというよりも、歴史的な意味を見出したいと思う方や、歴史的な意味づけをしたいと思う方がいろいろといらっしゃるのだなというように感じております。

それらは、単純に、自分のこれまでの持論を世間の人たちに注目してもらえてうれしいということかもしれませんし、世の中が自分の思う方向に動いてくれた方がお金が儲かっていいということかもしれませんし、自分の思想的な面で望ましいと思っている方向性があるのかもしれませんし、もっと単純に無邪気に今回のような大災害に居合わせたことに天命を感じたいだけなのかもしれません。

もっとも、東日本大震災と、その後続いた原発事故や輪番停電とか、節電とかもろもろの混乱は、「今日は昨日とは違う」という事実を日本人に再認識させたとは言えるのではないかと思います(あまり強く意識しすぎるのはよくないとは思いますけれど)。

このような中で、重要なことは、個々人なり個々の法人なりが、自分はどうしていきたいのかという生きていく上での方向性をもっていることではないだろうかと思います。このようなことは、東日本大震災が起こったから考えるということではなく、日頃から見つめ続けておくことなのではないだろうかと思います。

博士号をもつものとして、どのように生きるかということに関して、東日本大震災にどのようにかかわるのかというほど大きなことではないのかもしれませんが、先日、鹿児島大学連合農学研究科の人材養成セミナーに参加させていただいて、企業人としての生き方について、考えさせられました。企業の方も何人か話しておられたのですが、その中で、人事異動についての話題について必ず触れられておりました。

別に企業人に限らないことですが、生きていく上では、自分がどのように生きたいのかという意志と、周囲からこうふるまってほしいという希望があると思うのですが(もちろん相互に影響を与えあうものであるとも思いますが)、この二つが乖離しないためには、どうしたらいいのだろうかと思わされました。すなわち、○○会社の人間でもあり、博士でもあると認識し続けられたらいいのだけれどと考えたりします。そして、博士とはなんだろうかということを思ったりしました(さまざまな能力に要素分解できるだけのものなのだろうかとか)。

個人的には、東日本大震災が起きたから、アカデミアなり、個人なりが、そのために全員何かをしたり何かを考えたりする必要はないのではないかと思います。

東日本大震災を社会変化の予兆のシンボルに使いたがる人は多いですが、変化というのは何かを境に急激に起こるものというよりも、緩やかに普通の人は何か変だなと思う程度の速度で進行するものであろうと思っております。

研究環境に関しては、80年代くらいから社会から無視してもらえない方向に変化が進んできているのではないだろうかと思っております。

ただ、研究に携わる人の中には、まだまだ昔よりもお金がたくさん得られるようになってありがたいという程度の認識しか持っていない人も多く、困ったものだとは思います。



Re:社会に出て今思うこと  投稿者:博士は職業じゃないんだ!  投稿日:2011年08月08日 22:42:26  No.117008
I P:110.3.28.160
トリムさんありがとうございました。
思いが先走ってしまって意図が伝えられていませんでした。

東日本大震災についてアカデミアがどうかかわるか?や歴史的な意味が何か?ということを論じたかったのではないです。
私の話が不十分過ぎてずれてしまい、申し訳ありませんでした。


私は博士号をとり、地方公務員になったのですが、業務としては市民の許認可を担当したり、市民が日常の中で生じた問題について直接話を聞き、解決を図るという部署で2年ほど働いていました。
その中で感じたことなんですが「科学」が考えていたよりも社会の中で身近でないということでした。
そう実感した出来事が2点あり、
@一般的に「安全・安心」と言われますが、本来「安全」と「安心」はセットで考えられるものではなく、「安全」は科学的な実験、検査などにより判断されるものであり、判断されたものが安心できるかどうかは受け取る側(もちろん私も含めて)がどう科学的に解釈するか?に強く左右されると思うのですが、現状は受け取る側から科学的な情報を自主的に集めるには限界があり不安が広がりやすい状況にあること。
Aそして疑似科学というものが浸透していること。
でした。
そのなかでアカデミアと社会が繋がっていないことが大きな要因だと考えています。
逆に言うとアカデミアと社会を繋げる人材が「潜在的」な需要として社会には大きくあると感じています。
意図と反して極論がずれてしまったのですが、「現役」の方々にそこに気付いて欲しいという思いです。
「博士号をもつものとして、どのように生きるか?」ということは僕にとっても大きなテーマです。
これはどれだけ働いた年数が長くなろうが自分の中でなにか自分の方向性を考えるときに重視することで、ベースになるものだと思います。
アカデミアと社会を繋げる人材になることが今の僕のテーマです。
ただし壮大すぎて試行錯誤の毎日ですが・・・。
僕は家の事情でアカデミアから出てしまったんですが(正直に言うとアカデミアに生きたかったというのが大きいです)、「現役」の方々に「社会」と「研究」という面から捉えて欲しいと思います。



Re:社会に出て今思うこと  投稿者:博士は職業じゃないんだ!  投稿日:2011年08月09日 00:24:31  No.117009
I P:110.3.28.160
ここからはなぜ東日本大震災を書いたか?ということにも繋がるのですが(私の書き方が不十分で、思いを混在して書いたためずれました)、
まず1点「科学はなんのためにあるか?」
私は公金が投入されているという前提で社会のためにあると思います。
その面で東日本大震災に対してアカデミアがどう応えるか?というのは大きなことだと思いました。
これは観点的なことなので、人それぞれだと思います。
アカデミアの研究は大切なものです。
人を育てるという面でもその恩恵を受けた身としては重要で、それ自体即座に実利的なことには繋がらないこともあると思いますが、アカデミアにいた人間として「重要で、けっして途切れさせてはいけないもの」だと強く考えています。
その点で「歴史という名の法廷」は強く共感しました。
ただし、研究を存続させるかどうかは社会が判断することだとも考えています。
2点目ですが研究にかかわらず現在進行形の事業というものは「過去のお金」で予算化されたものだと思います。
「過去のお金」というのは前年度までの税金などだと思います。
事業仕分けのときは国としてこれから財政的にどこを抑えるかという面にシフトしていくのかな?と想像していました。
外の世界に就職した身として、後悔の面からも東日本大震災が起こる前までは中・長期的な視野でアカデミアも変えていかないといけないところがあると思っていたのですが、東日本大震災後は予算をどこに重点的に投入するかはより明確だと思うの気になりました。
たらればを言ってもしょうがないですが、アカデミアに生きた人間として「何のためにあるのか?」を新ためて考えることは良いのでは?と思いました。



Re:社会に出て今思うこと  投稿者:博士は職業じゃないんだ!  投稿日:2011年08月19日 22:34:40  No.117010
I P:110.3.28.160
私の書き込みは最後になりますが、以下のニュースが参考になればと思います。

復興予算、要望は「青天井」 12年度概算要求、優先事業積み上げ
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110818-00000003-fsi-bus_all

【2011年8月19日 科学者に対する目 】
http://scienceportal.jp/news/review/1108/1108191.html



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