返信



[81] 第三の膜割礼主義考論  投稿者:裸の男 46歳独身 男  投稿日:2007年05月13日 02:47:07  No.81001
今まで、処女膜、卵子膜、の話をしたが、本来性の獲得は、生殖
行為だけのものではない。母子の体から胎児が第三の膜である羊
膜を破り出生することで、男は父性、女は母性を獲得する。つま
り、性は一人の膜割礼主義者と(双子の場合どちらかになるが)
二人の親性により完結される。つまり、ほとんどの人たちは自分
自身が母体膜の割礼によりこの世界に出現していることを、忘れ
ている。私は仏教徒であるが、聖母マリアが処女と言ったのは、
恐らく、この第三の膜に対して処女であることを語っているのだ
と思われる。この第三の膜は遺伝子的共通性をも超えて、世界
社会適合性を問われる最初の生命の登龍門となる。つまり、生き
ている事が性の獲得の第一歩となるのである。私は膜割礼主義者
の摩尼であることを証し心の膜を1枚自ら破す。



まあまあ、パンツぐらいははきましょうよ。  投稿者:ゆずぽん  投稿日:2007年05月14日 14:39:36  No.81002
単細胞の私には、あなたのおっしゃるお話の内容が難しすぎてよくわからないんですが・・・・・・。

ご自分の思想、信条についての問いならば、哲学系の掲示板をお勧めしますし、
処女との出会いをご希望なのであれば、街頭演説などされてはいかがでしょうか?
あなたの考えに賛同する女性が声をかけてくるやもしれません。
ただし、その女性が処女かどうかはわかりませんが・・・・・・。




Re:第三の膜割礼主義考論  投稿者:裸の男 46歳独身 男  投稿日:2007年05月15日 19:24:36  No.81003
いえいえ、貴方のお持ちのディルドより大きいのが立ってます。
それより、処女だけの出会いができる街頭演説を是非ご教授ください
!貴方の哲学ならば一緒に哲学系の掲示板に行きませんか?



Re:第三の膜割礼主義考論  投稿者:時代おくれ  投稿日:2007年05月17日 01:03:48  No.81004
難しいお話ですね>生命が誕生するまでのお話

胎児は子宮では羊水の中で呼吸し 出産と同時に
肺呼吸に変わる>この世に生を受けたものは 誰しも
この門を通り抜けるが 残念かな 私にはその記憶すらない
もちろん 幼児期の記憶も。。

で 第三の膜割礼主義とは出産に関係するお話かな?




Re:第三の膜割礼主義考論  投稿者:裸の男 46歳独身 男  投稿日:2007年05月19日 18:20:33  No.81005
時代おくれさんの思っているように、おそらく、出産に関係する
話しとなると、男 裸の男は女性に軍配を上げる以外になさそう
ですね。よき仲裁ありがとうございます。世に言う母子の絆に男は
弱いものです。しかしこれだけは解っていただきたい、未来の子に
対して父と母の純粋性の名誉をまだ見ぬ子に渡したい男心を・・・
私こそ、時代おくれかもしれませんが・・・。



なるほど、そういうお話ですか・・・・・・・・。  投稿者:ゆずぽん  投稿日:2007年05月19日 20:49:56  No.81006
>未来の子に対して父と母の純粋性の名誉をまだ見ぬ子に渡したい男心を・・・
>私こそ、時代おくれかもしれませんが・・・。

いや、時代おくれではないと思いますよ。ただ、戦後教育の変化や昨今の性情報の氾濫を考えると、
時代的に難しいところはあるかもしれませんよね。

裸の男さん、真面目な方なんですね。
「父と母の純粋性の名誉」と書かれていますが、純粋性というのは女性が処女かどうかということだけで
計れるものなんでしょうか?父の純粋性ということも考慮すると、男性にも童貞を求めることになるかと
思いますが。

初めて好きになった人(男女)と結ばれて、子供が出来る。
それはそれで素敵なことですし、理想かもしれませんが、不可抗力というかすれ違いというか、
結果的に別れる(別れざるを得ない)ということもありますよね。

でも、そういう経験が女性を、もちろん男性もそうですが、人間としての幅を広げてくれたりするので、
処女=純粋=価値がある、とはいえないような気がするんですが・・・・。
あくまでも、私個人の考えを書かせていただきました。



Re:第三の膜割礼主義考論  投稿者:裸の男 46歳独身 男  投稿日:2007年05月19日 23:03:22  No.81007
ゆずぽんさんご返信ありがとうございます。
「経験が女性を、もちろん男性もそうですが、人間としての幅を
広げてくれたりするので」まったくの同感です。私は純粋思想と
価値の発見について、ここで深くは語ることを望みませんが、仏
教的言い方で申すならば、無意識、唯識、古唯識、と言う事に、
処女の価値は私流の第三の膜が身体的価値論では一番大事である
と申しております。しかし、社会的見えざる膜(第四の膜)や
第一の膜以前の心の膜、精神の膜が存在していることも事実です。
ここで整理するためにカントが申したように純粋理性とは何か、
裸の心とは何か、を実在論の上で見つめた時、多くの処女たちと
同じく私も無知であることにきずかされたことです。これは、
むしろ大人の世界からの無知の知、と知の知へのアンチテーゼ
なのかもしれません。生まれる子にとって母体は処女であり、
授精の神秘は無原罪の処女であり、器官の膜(初交)は二人の人間
の性への未知へのまさしく処女航海の場面と考えるほうが自然と思
うからです。最後にもう一度お伝えいたしますが、第一の膜が無く
とも純粋理性は存在し、第二の膜が無くとも純粋理性は存在し、
第三の膜が無くとも純粋理性は存在します。しかし心の膜が破れた
ときその男にとって純粋理性とよべるのでしょうか?その意味での
無知の知、と知の知なのです。利口な女は喩え処女でなくとも処女
の人生を歩む、利口な男は処女でなくとも処女のように女と人生を
歩む、ならばそれもよしではあるが、無知なる知を知った私には酷
である。と言う事です。



Re:第三の膜割礼主義考論  投稿者:kuma  投稿日:2007年06月13日 11:26:51  No.81008
LSD使用後のような理論展開。
この世の真理を見てしまったような体験。
超知的探求の世界。
マリファナ→LSD→シャブ(覚せい剤)→人間止めますか?



<名前と年齢・性別>
<Eメール>※任意
<タイトル名>   
<本文>
( タグの使用不可 )
<文字色指定> 他の色 # ※色見本
<URL>※任意
<削除用パスワード> (自分の記事を削除・編集時に使用。半角英数字で4-6文字以内)