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中高年の「純愛」がブームのようだが、一体、純愛ってなんだ。 四十、五十は、昔なら天寿の年齢、仏壇に向かって極楽往生を願うところじゃろうが、平均寿命が八十年にもなってくると、 肉体的には老いの陰りが見えてはきても、内なる感情は若さを失っていない。性的感情を持てあます年代だ。 一応の収入も得て、子育ても終わって、これからをどう生きるかを考える年代でもある。 「父」であり「母」である前に、「男」と「女」であることには違いない。 肉体の衰えと、恋愛感情の落差に悩まされる。 年齢が恋愛感情を抑制しようとする。 その葛藤が、恋愛をより秘めたものとし、感情を内向させ、「純愛」感情に溺れさせるようになる。 これを第二次恋愛期というらしいが、第二次恋愛期は多くの問題を含む。 過去の全人生を掲げた恋愛。 逞しく、したたかな恋愛。 そして相手の人生をも飲み込んでしまうような恋愛。 中高年の恋愛には、多大な危険と障害がつきまとう。 家庭を破壊するばかりではなく、子供達の反発もある。世間も友人も単なる不倫としか見やしまい。 世界的に性の開放が謳われているが、それでも反社会的な行為であるという見方が強い。 その押され切れない、恋愛感情の捌け口が、小説や映画での「純愛」ブームを呼び起こしたのでわ。 「純愛とは、中高年の不倫願望だ」と、いった人がいる。 ブームになるところをみるとそうかもしれない。 恋愛感情は、動物的な本能じゃ。異性を見て欲情を動かす。 この当たり前のことを、社会規範に縛られて、紳士であり、淑女であらんがために、性的本能を覆い隠さなければならんとは。 あの人の瞳を覗き込みながら、あの人の唇の動きを見詰めながら、素直に、「愛しています」といえない。 力強く抱き締められない。 あの人の背中にそっと顔を埋めてみたい、全身をなげうってめちゃめちゃに愛に溺れてみたい。 この心に秘めた衝動が、満たされない憤懣を表現するために、「純愛」という言葉をつくりだしたともいえる。
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