まずライフありき
投稿者:鈴山
投稿日:2006年09月06日 04:04:20 No.8327004 |
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セックスにその人間が何を求めているか、どこまで哲学や人生観がそこにあるか、 ということによって、そもそもの出会いのきっかけを、 何に求めるかということは違いますから、一概に私は、 出会い系を否定する気はありませんし、したいならご自由にです。
しかし、せっかくのスレですから、個人的な意見を真面目に書いて おきます。ここは、真面目な談話室ですから。
てっとり早く空腹をみたしたいから、立ち食いそばを食う、 てっとり早く空腹を見たいたいから、ファーストフードを食う、 そのこと自体には、悪いことはありませんし、 それで成立している「ビジネスで食っている人」が出会い系と同様にあるわけですから。
しかし、てっとり早くない食べ方というものも、 いずれは、長い人生の中で味わってみて、それと比較してみて、 どっちがいいかを、最終的には、個人が判断すれば良いでしょう。
「てっとり早くないセックス」とは、
山に食材を摘みにいって、自分で加工し、自分で調理し、 とても手間と愛情はかかりますが、それで食べる食には、 決して積み上げたお金や「便利さ」では得られない、「格別なもの」があります。
それを「出会い」ということに置き換えるならば、 出会いたいという根底に、何の動機があるかによって 一生の間に、その人が、出会える「素敵な人」は限らてきます。
理想に妥協を一切しないならば、 時間はかかっても、必ず自分の理想の人が見つかります。 自分の理想を安っぽくしたら、その価格に見合う出会いしか 出来ません。
「順番」から言えば、セックスをしたくなるかどうかは、 人と人との出会いでの「結果的なこと」、「その後のこと」で、 まずは、人間的な出会いを求める方が結果も良しだということは 経験からは言えます。それにどれだけの手間や時間がかかろうがです。
そうは言っても、スレ主さんとは人生観が違いますから、 単なるひとつの意見にすぎませんから、このレスなど読まなくてもいいことですが、
あなたが、もしも 打ち込んだり、没頭したり、または少し興味をもっているというような 「趣味」を人生の中に持っているのでしたら、 出会う場所を、何かの趣味のサークル、カルチャーセンター、 お教室、あるいは、ネットであっても、特定の趣味の話題に限られる そういう、「人としてどうか」「人として楽しめる人か」 という入り口を、「出会いの入り口」とするのが いろいろな面でよいだろうというのが私の考えです。 セックス目的をメインとして集う場ではなく、 全くそういう魂胆はメインではない場での出会いということです。
セックスの本質とは、
セックス・ライフなのではなく、
「ライフ・セックス」です。
ライフが先です。(むろん、私見ですが)
出会いの発端にあるべきなのは、精神的な出会いや、いろいろな複雑な縁の交差で、 セックスへの衝動は、その2人の出会いの結果に過ぎない、という そういう、当たり前のことが、忘れられてしまった 「インスタント食品時代」なんですね。
何を選ぶかは、むろん個人の自由ですし、どちらがいいという 問題ではありませんが、 人と人との縁の不思議さを、知って、そこを泳いでゆくことによって、 どんどんと、思いもよらない広がりや深まりを運んできてくれる 「ライフセックス」もあるという、ひとつの、お話でした。
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